やりたいことを見つけるのは、やらないことを選別すること(「やりたいこと」が見つからないときに その1)
今日は、先日休みを貰ってスーパー銭湯のお風呂に入っていた時に考えたことを書こうと思う。
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「やりたいことを見つけなさい」
就職活動中によく聞いた言葉。
当時から「そうは言われてもなかなか見つからないよ」と思っていたし、
悲しいかな、今でも「やりたいこと」はよく分からない。
いや待てよ、とふと思った。
自分が「やりたいこと」を見つけられないのは、「やりたくないこと」を切り捨てられていないからなんじゃないか?
こんなことを考えるようになったきっかけは、多分漫画『進撃の巨人』。
劇中、主人公の幼馴染であるアルミンがこんなことを言っていた。
”何かを変えることのできる人間がいるとすれば、
その人はきっと…
大事なものを捨てることができる人だ”
当たり前のことではあるけれど、人が何かを選び取るとは、「選ぶもの」を決めるのと同時に、「選ばないもの」を決めることでもある。
それであれば、「やりたいこと」を見つけるためには、「やらないこと」を決めなくてはいけない。
世の中の「やりたいことをやっている」人には多分二種類いて、
①「やりたいこと」をやるために、「やらないこと」を切り捨てた人
と、
②「やりたいこと」がやりたすぎて、「やらないこと」のことなんか考える暇もない人
がいるんじゃなかろうか。
後者になるのは、その人の性格の問題とか、夢中になれるほど「やりたいこと」と出会えるかとかの問題もあって、ある種運任せになるんではなかろうか。
でも、前者のパターンならもっと意図的に「やりたいこと」に到達できそう。
「やりたいこと」を一つ見つけるのは、難しい。
でも、「やりたくないこと」を挙げていくのは、まだやりようはありそうだ。
消極的な「やりたいこと」の見つけ方だけど、これなら自分にもできそうだ。
そして、「やりたくないこと、やれないこと」について、「やれるかもしれない」という淡い期待を捨てて、切り捨てるものは切り捨てる。
そうしていけば、もう少し「やりたいこと」が見通せるかもしれない。
僕も25歳を超え、人生のおおよそ3分の1、元気に動ける歳としてはもう2分の1くらいが過ぎた。
人生を楽しく生きるために、「やりたいこと」を絞り込んでも良いんじゃないか。
やりたいことを見つけることは、やらないことを選別するのと表裏一体なのだ。